雪の少ない静かな正月を迎えた。慌ただしいことは何もないこれまでで最も穏やかな元旦だった。それもそのはず12月から閉館していたせいで何末年始の混雑はなく、アシカショウやクラゲの解説もない訳だから職員も皆長くまとまった正月休 […]
新水族館が建設中で車は200m離れた港に置いている。トンネルをくぐってカーブを曲がり正面玄関を目指したら館前にテレビ局が2社、私が歩いて出勤して来るのを待ち構えていた。
眠りの浅い朝方に見た夢のような気もするが・・・いやそうではないあれは本当の出来事だった。2013年10月21日、半蔵門の駅近いビルの7階だった。
ついこの間クラゲ大水槽のアクリルガラスが運び込まれたが予想外の大きさだった。厚さが27cm幅が3m高さが6mが二つ、自分が提案したものだったし紙の上では穴が開くほども見慣れた数字だったが、実物を見るとその大きさに圧倒され […]
新水族館の建設が2か月遅れながらもその後順調に進んでいる。日に日に高くなりそして型枠が外され全体像が見えてくると図面で見慣れた規模よりもかなり大きく感じる。
水族館と言う仕事を運営とか経営とか固く考えてはいけない。私は客商売だと考えているので多くの人の支えが有って成り立つ仕事だ。小さな出来事一つ一つの積み重ねがここの信用を支えている。手紙を書くのも面倒がっては居られない。
今年は7月の末になったと言うのにまだ梅雨が明けない。雨ばかり続くと矢張り青い空が恋しくなる。
あの男はいつの間にか館内にいた。クラゲを見に来たわけじゃないのだ、旧知の間柄だから館長に用があるなら入館料金を払うことなく「館長いるか―」と入ってくればそれでいいのだが、どこまでも律儀な人だ。800円の入場券を買って客と […]
何年生の時の事なのか、時期はいつ頃なのか思い出せないのだが、親父さんの家で夕食の後、二人で囲炉裏を囲んでバチバチ炎える焚き火にあたりながら、鉄砲のタマ作りをしていた時の事だった。
「庄内キネマ制作委員会」から、5月13日の夜6時までに撮影現場に来いと言う連絡が有った。私が映画「くらげになりたい(仮)」の主役のお兄ちゃんの父親役で、ほんのチョイの間無言で孫を抱いてあやしている場面に出るためである。
5月の8日「8時マタギ」だった。みのもんたさんがこの小さな水族館を取り上げてくれたのだ。「20分で3億円を集めた水族館」というタイトルにあちこち紙が貼ってあって字が隠してあった。
18日の朝9時半頃だったろうか。「市債を買いに行ったが長く並ばせられて待っていたが途中で打ち切られてしまった。どこに文句を言えばいいんだ」と云う電話ばかりがつづいた。
独立学園は山奥の狭い谷間に建っていたものだから、遠くまで見通せていい眺めなのはサルッパナと呼んだ山の方角だけだった。
冬になり、雪が積もると、土曜日に親父さんから便りが届く。新股の集落から通っている生徒が紙切れに1行か2行、簡単に書かれたメッセージを持って来るのである。
独立学園は、今は「才の神橋」から入ったずーと奥の方に建っているのだが、あの頃の校舎は横川に架かる橋のたもとに建てられていて、大雨で増水すると、濁流が校舎の土台石を洗うこともある程、河の側に建っていた。
2025/07/26
2025/07/20
2025/07/19
2025/07/15
2025/07/12