薄氷を踏む心境だ

雪の少ない静かな正月を迎えた。慌ただしいことは何もないこれまでで最も穏やかな元旦だった。それもそのはず12月から閉館していたせいで何末年始の混雑はなく、アシカショウやクラゲの解説もない訳だから職員も皆長くまとまった正月休みを取る事が出来た。

私は特別にお年寄りサービスという事で暮れの31日から3日まで連続して4日の休みが割り当てられた。これもここに勤め始めて以来の長さである。

50年前に鶴岡市がここに水族館を立てて以来、お盆も正月の休みも無い経営をしてきた。それが当たり前で働いていたがこうしてゆっくりと人並みに休めるのも悪くはない。

民営時代のほとんどは週に一度の宿直があって、年末の31日か元旦のどちらかを宿直をしていた時代も長く続いた。市営時代からだったが管理人さんが居て夜の見回りもしてくれていたが、せめて休日ぐらいは自宅に帰してあげたいと思い、男3人が交代で宿直をしていたという次第だった。

静かなとはいっても今年はただの正月ではない。50年に一度の大仕事がいよいよ6月に審判を受ける時がやってきたのである。元旦の朝早く目が覚めてごそごそと起きだしたがやはりいつもの朝とは感覚が違っていた。

今建設中の水族館は平成19年に私が規模と内容をこれがいいだろうと提案して、市が受け入れてくれて始まった仕事だった。詰まるところが結果責任は私にあることになる。基本計画を作成する会議から始まって、ここまで4年もかけて多くの人が協力してくれて万全の体制を引いて進めては来たがどこまで行っても心配は尽きない。

工事が2か月遅れた分がクラゲの繁殖成長計画に影を落としているし、初めての本格的なレストランは思い描いた評価が得られるだろうか、押し寄せる入館者をどのように対応すればいいのか、駐車場の不足はどうする、各部署の職員は足りるのか、宣伝は、内覧会は、外国からの招待者は・・・、下村脩先生は約束通りに来てくれるだろうか・・・・・・。みんな胸を押し潰すような心配の種だった。

外は時折吹雪が舞っていた。気温の低さが身を引き締めるのか元旦の朝は緊張感が張りつめて、いつ割れるかもしれない薄氷を行くような心境になった。

静かに過ぎてゆく新たな日々も、70歳を過ぎた二人だけの家はいたって平凡で何の予定もない。どこと言ってゆく当てもない暇を持て余して手をかけたのが、ぶどう蔓での籠編みだった。初日は半日かけて底を編んで、翌日は側面を半日で編み、3日目は縁を編んで最後の日には手を取り付けた。これで完成だった。

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まあ何とか様になりそうな手づくり感のある「ぶどうの籠」が出来た。もうずいぶん前から民芸品を売っている店で目にするたびに編んでみたかったのだが、材料が簡単に手に入るようなものではなかった。売っているなら買いたかったがそんな店もない。欲しければ自分で山に入って採ってくるほかに道はないのだ。

太く成長した蔓からきれいに皮が剥がれるのはたったの2週間ほどしかない。時期が外れれば手に入らない材料だった。それを乾燥してまた水に戻して柔らかくして、1cm~2cmと幅を決めて編む材料を作ってゆく一連のこの作業だって面倒だが面白い。

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この思いがかなったのは今年から来てくれた山手の職員が、私の思いを知って採ってきてくれたからである。元旦の薄氷を踏むような緊張感と曲がりくねった蔓を相手に悪戦苦闘している館長の姿が妙に様になる。春までにあと2つ~3つは編めそうだ。

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