ついこの間クラゲ大水槽のアクリルガラスが運び込まれたが予想外の大きさだった。厚さが27cm幅が3m高さが6mが二つ、自分が提案したものだったし紙の上では穴が開くほども見慣れた数字だったが、実物を見るとその大きさに圧倒されてしまった。
沖縄の美ら海水族館のジンベイザメ水槽は厚さが60cmもあったし、隣の男鹿水族館でも大水槽には49cmのアクリルが使われている。今時27cmは特にいうほどのことが無いのかも知れないが、直径が5mのクラゲ水槽にこんな厚い物が必要だとは思わなかった。
アクリルガラスを積んだトレーラーは栃木県から夜中に到着して、朝早く巨大なクレーンで工事中の建物に運び込まれた。縁起を担いだのだろうが吊り上げる合図を館長に頼むと言われ、赤い棒を右手に持って「上げてくれー」と合図をした。
天空髙く吊り上げられたガラスに朝陽が当たり、白く輝く姿が希望の光に見えた。あれがここのシンボルとしてこれから先長く続くクラゲ水族館の守護神となるだろう。
あの水槽にはおびただしい数のミズクラゲが群泳することになる。繁殖させて成長させる飼育係も苦しい日々が予想されるし、定期的に行われるメンテナンスも万に近い数を思うと其のたびに難しい作業が待っている事だろう。
クラゲの展示に特化すると言えば格好いいが、その実苦しい事ばかりが想像される、何でこんな生き物に全てを託したのかと悔やむこともあるが、苦しい仕事の向こうに明るい未来が見えるから頑張れたのだ。
吊り上げられたガラスを見ながら思ったのは、矢張り17年前の苦しい時代だった。民間の会社が倒産を覚悟するという事はただ終わりが来たという事ではない。経営者には結果責任が伴うのである。
まさに追いつめられて真っ暗闇の状態だった。へたり込みどこにも進むことが出来なかった。その時はるか向こうにかすかな光がさしたのである。この光を目指して再び立ち上がることが出来た。
早いものであれから17年が経過しようとしている。陽が当たったアクリルガラスはあの時の光だったのかも知れない。