今思えばあの可愛いモモンガを喰っていたのだから我ながら情けないものだ。しかし今の時代感覚で57年前を批判しても、それはかなり的外れになるだろう。
身の回りの自然はまだ生き生きとして山や川が元気だったし、そこで生きるものが自然の摂理のままに営みを繰り返していた。人さまの方だってあの時代はまだまだ貧しく食う物さえ満足に無く、何でもいいとにかく腹が満たされればそれで幸せな時代だった。
育ちざかりの年頃だった。山の中の小さな高校で3度の飯だけでは足りなくて、いつも腹を空かしていた。3時まで授業が有ってその後は2時間の作業が待っていた。畑や田んぼの他に家畜もいたし、炊事の手伝いもあった。
・独立学園の正面玄関。となりでヤギを飼っていた。
その作業の最中に配られる手づくりのパンが嬉しかった。此れだって今思えばとても口に入れるようなものでは無かったと思う。「小麦粉に重曹を入れて甘みには砂糖の代わりにサッカリン」を加えて焼いたもので、二口目にはもうサッカリンと重曹の苦みがきつくなり、腹が減っていなければ咽が通らなかっただろう。
山の木を切り出して燃料にする仕事もあったし便所のくみ取りもした。学校は勉強には力を入れず全校が協力し合って自給自足を目指すような耐乏生活をしていた。
食事もおかずは納豆だけとか、山菜だけとか大変お粗末なものだった。いっぱい醤油をかけて塩っぱくしてご飯を食べていた。しかし誰の口からも不平不満の言葉は出なかった。その粗末な食事を生徒だけではなく校長以下の先生方も一堂に会して頂いていたからだと思う。
食前と食後には校長と奥様が感謝の祈りをささげて、みんなが「頂きます」と声を出してから食べた。
そのような生活の中でモモンガを喰ったのだからご勘弁いただきたい。
2km離れた集落のおやじさんと鉄砲うちに行ったとき、ブナの原生林を歩いていたら、向こうに見えるブナの木の横に張った枝の上にちょこんと何かが乗っていた。
深い山中には木にもやもやとした苔が垂れているものだ。山の人たちはそれを「キブノリ」と言って食用にしていて、わたしもクルミ和えにしたものを食べたことが有るがもそもそとして固く旨いものではない。
キブノリが枝の上に固まっているのかと思ったが、よく見ればそれはリスだった。
向こうは警戒心も無くじっと動かない、すぐに1発ぶっ放した。私は捕まえて食べる気は無かったのだが、とにかく何かに向って撃つその緊張感が面白かったのだ。
手にしてみると小さいし思ったよりも細かった。親父さんは「これも旨い」と言った。これがリスを捕まえた最初であった。すぐに腹を裂いて内臓を捨てた。どんな生き物でもそうしないと後で食べる時にがっかりする。
家に帰るとリスを取出し、頭も手足も付いたままくるりと皮をはいだ。山ウサギやムササビは皮が薄くてすぐに破れて使い物にならないが、リスは皮が厚く丈夫な毛皮をしている。
身は剥がすほどについてはいない。白っぽい肉で脂肪の全くない綺麗な体だった。こんなもの何処を喰うのかと思ったら、親父さんは囲炉裏のオキを寄せて、五徳(ごとく)と金網を置きその上にリスを丸ごと載せて焼いた。
「リスの骨は固くない、塩を振って焼けば骨ごと食べられる」と云った。焼けたところで私にもむしり取って食べさせてくれた。なるほど骨は足も背骨もさして邪魔にはならず「塩振りのリス」は結構な味がした。
その後親父さんは面白いリスの捕まえ方を伝授してくれた。「リスは杉の木立の高い所に、杉の皮で巣を作って住んでいる。それを捕まえるには朝10時までが勝負だ。」
「リスは朝の10時までは巣に入って寝ているので、巣ごと鉄砲で撃ち落としてなかを調べろ。」「住んでいる巣は杉皮が新しいから分かる。」
このことを聞いて何度かリス撃ちに行った。巣は探せばあちこちにあったが、新しい巣はめったに無く、一朝頑張っても1匹か2匹しかつかまえることが出来なかった。
そして1度だけ本当は木の穴に生息しているはずのモモンガが2匹、撃ち落とした巣の中から出てきた。初めて見る姿にびっくりして学校に持ち帰り、皆に見せた。
これもリスとほとんど同じ味だった。