57年前の高校時代にやった鉄砲うちの話を始めたら、書いている自分が面白くなって止まらなくなった感が有る。
今日はバンドリことムササビを撃つ話をしてみたいと思う。こんな事をしたことが有るのはごく限られた人だし、もともと夜に鉄砲を撃つのは禁じられているので表立ってやるわけには行かない。
いまどきムササビなんか捕まえたって使いようも無いから、関心を持つのは動物の研究者ぐらいなものだろう。今となってはすっかり貴重になったムササビの捕まえ方を書き残すのもいいのじゃないか。
今身近なところにどれほどのブナ林が残っているものだろうか。よほど奥か限られたところだけになってしまった。その主たる原因は戦後に国が貧乏して国有林の木を切って売り、国家財政を潤していた時代が有ってせっせとブナが切られてしまったからだ。
ムササビはブナの原生林が生息地であった。私が高校時代だった昭和30年から3年間は、学校を取り囲む景色はみな人の手が付かない原生林でみごとなものだった。
そこに道路を作りブナや楢を切り倒して、トラックで運び出していたがまだそれは初期の段階で、山が丸裸にされるのはもう少し後の時代になってからだ。
・現在の独立学園
高校2年の11月末のある土曜日のことだった。地元から通ってくる同級生が紙切れを手渡した。それは親父さんからの手紙で「明日バンドリ撃ちに良いようだから、今日から来て泊まれ」と書いてあった。
この様なメモの連絡は時々あった。「鉄砲うちの誘い」であったり「マミ(アナグマ)を捕まえたから食べに来い」だったり「稲背負いに来い」だったりその時々で様々だった。
翌日はいい天気だった。日中は何をしたか記憶にないが夜になって腹を満たし、腹に弾帯を巻いて手には鉄砲を持って真っ暗になった外に踏み出した。いつものように親父さんは私に鉄砲を持たせてくれた。
今日は「オギュウタから狐屋敷にゆく」と云った。ブナの原生林には名前が付けられていた。ムササビは完全な夜行性で、日中は木の穴に隠れている。夜になると出てきてブナや楢の大木に上り、細い枝の先の表皮をかじって食べている。
本当はもっと居そうな場所もあるのだが、夜に山中を自由に歩くことは出来ないので、山道を歩きながら両側に生えているブナの木を見ながら探す他なかったのである。
その日は丸い月が出て雲が無く煌々と月の光が地面を明るくしていた。歩くには良かったがムササビを探すには条件が悪かった。月の下にはスクリーン代わりの白い薄雲が無ければ、下から見上げる目に20m上の木の枝の先は良く見えないのだ。
かさかさと歩くたびに枯れ落ちた木の葉が鳴った。時々立ち止まって耳を澄ましたが周囲は静かで何の音もしなかった。耳鳴りの音しか聞こえなかったから矢張り音はなかったのだろう。
二人で探したが狐屋敷まで行ってもムササビの姿はなかった。あきらめて帰ってきたがオギュウタの林を抜けようとしたところに、太い楢の木が有って枝の先ではなく途中の幹のあたりに2匹の獣が動いていた。
いたぞ!と親父さんの声が有って、すぐに鉄砲を構えて1発撃ったが当たらない。弾を詰め替えて2発目を撃ったら当たったらしくどさっと音を立ててヤブの中に落ちてきた。
それを見たとき嬉しさのあまり、藪に走り込んで落ちたムササビをつかんだ。その時後ろから親父さんの声がした。「何でもう1匹いたのに撃たなかったのだ。」
いや全くその通りだった。
山に入ったら1匹でも多くの獲物を捕るのが鉄砲を持つ者の仕事だった。拾ったムササビをぶら下げながら返す言葉が無かった。(続く)