高校も2年生になると、土曜日には鉄砲を貸してくれる親父さんの家に泊まる日が多くなっていた。そして日曜日に一緒に山に入るのである。2月のある朝親父さんと外に出てみると一晩で1mもの雪が積もっていた。この日曜日にウサギ撃ちに行こうと決めていた。
前の晩に囲炉裏を囲んで、これまでに山であったいろんな鉄砲うちの場面を思い出しては話し合って盛り上がり、同じ話を何度繰り返しても面白かった。親父さんは話をしながら鉄砲と「空になった薬きょう」を取り出した。
「真鍮の空の薬きょう」から雷管を抜いて、新しい雷管を詰めて今度は火薬を小さな柄杓ではかって入れて厚紙で仕切りをし、その上に鉛のバラ玉を詰めた。
この作業も明日鉄砲うちに行くと言う楽しさを大きくしてくれた。最後に鉛のバラ弾をいれ押さえた厚紙の隙間にろうそくで防水すれば1発出来上がりであった。
出来たものから弾帯に詰めてゆく。一番左の端には散弾ではなく1発弾を入れておく。万が一クマに出会った時の用心のためだった。そして右の端には空の薬きょうを差しておく。これは笛代わりに吹いて合図に使う為だった。
親父さんの鉄砲は口径が24番で今クレー射撃などに使われている銃の半分の口径であった。連発銃ではなく1発撃つごとに弾を詰め替えなければ次を撃つことが出来ない。
逃げた獲物を前にして弾を詰め替えるのは、あわてて手が震え時間が掛かる。次を撃とうと顔を上げたときには逃げられた後だったと言うのがほとんどだったが、しかしこれも慣れで落ち着いて素早くやれば、2発目を撃って仕留めることは出来るものだった。
・4mもの積雪に埋もれた独立学園
雪は深かったが風もなく穏やかで諦めることは出来なかったので、田んぼを挟んで向かいのおやじさんを誘って鉄砲を2丁、私を加えて野次馬を3~4人交えて山に入った。
集落のはずれにはちょっとした沢が流れていた。いつも猟に入るにはその沢に添って先頭に鉄砲を持つものを立てて、雪を踏みしめながらゆっくりと歩いて行く。
沢には多くは無いがいつも水が流れていたので、ところどころが雪が融けて大きな穴となり、下から笹や柴木が顔を出していた。そこにも足跡がついている。沢の中を歩くのはヤマドリで餌を求めて歩き回って、モミジの葉のような跡が入り乱れていた。
さらに行くと沢の両側が狭くなり次第にV字のようになってくる。親父さんは私に撃たせようとして先頭に立たせてくれた。「24番の鉄砲」に3号の弾を詰めて腹まである新雪を踏みながら進んでいった。
沢に口をあけた穴を通り過ぎようとした時に、バタバタと大きな羽音がしてヤマドリが逃げた。これも慣れないと羽音の大きさにただびっくりして呆然と見送ることになる。
胸に抱いていた鉄砲を構えると狙いもそこそこに引き金を引くと、まるで絵に描いたシーンのように放物線を描いてヤマドリが落ちて、雪に深く突き刺さっていた。
ヤマドリを撃つのは初めてではなかったが、これまで一度も当たったことが無い。何でか解らないがヤマドリは踏みつけられる程近くに行くまで飛びたたない。油断している所に耳元でものすごい羽音がするから撃つまもなくびっくりして見送ったことの方が多かっただろう。
幸先よくメスのヤマドリを1匹捕まえた。さらに両岸は狭くなり木々は頭上に枝を広げている。雪はますます深くなっていた。
右の斜面から雪でも転がったのかわずかなへこみが来ていた。枝から落ちた雪が急斜面を転がったのだろうと気にもせずに通り過ぎたら、後ろに居た親父さんが「これは狸の跡だ、水を飲みに往復してそれに雪が積もったのだ」と云った。
凹みと云ったって見過ごすほどの僅かなものだったし、幾ら見てもこれが狸の歩いた跡とは信じられなかった。「本当だろうか、これがかー」と云ったが、他の皆も狸だと言った。
親父さんはタヌキはどんなときにも1日に一度は水を飲まなければならないのだと言った。斜面の4~5m上を掘ってみると大きな楢の木の根元が有った。木は一度斜面に沿って倒れてから立ち上がっていて、大きく曲がったその部分に洞が有った。
狸はその穴に隠れていたのである。かわるがわる覗いてみると穴の奥に狸の尻の毛が見えていた。手の届くすぐそこに居た。「これでは近すぎる、鉄砲で撃ったら半分は吹っ飛んでしまうだろう、手を突っ込めば噛まれるし、はてさてどうしたものか。時間が掛かるが家に戻って『とら鋏』でも持ってくる他無いな。」
そう思っているといつの間にか親父さんは、細長い木の枝を鉈で切り取って持っていた。長さが1.5mも有ったろうか。太さは2~3cmぐらいの生木であった。
「これであのタヌキは捕ったようなものだ」と言ったのである。火かき棒じゃあるまいし狸を掻き出すわけには行かないだろう。訳が分からなかった。親父さんは枝の真ん中辺に膝を当てて、バリバリと半分に折り畳んだ。
そしてささくれ立った先を前にして穴に入れて、タヌキの尻にぐっと押しながら、何度も何度もねじっていた。しばらくねじっていたがそのまま手前に引くと、向こうを向いたまま狸がずるずると引き出されてきた。
随分暴れていたが、いくら逃げようとしても枝の先に絡まった毛はびくともせず、それで一件落着であった。この前の足跡を追った時も感心したが、こんな思いもつかない獲物の捕まえ方をいつこの人たちは身に着けたのかと思う。
明治や大正ではないだろう。弥生時代か縄文時代かあるいはもっと以前かも知れない。こんな人の知恵を超えた離れ業が有ったとは、矢張り自然の中で学ぶことは面白いし多くの教えが有る。
その日の夜には親父さんの家で大宴会が始まった。猟に参加したものまたしない者も、当然のように一升瓶をぶらさげて集まってきた。モロミの入ったどぶろくを飲み大きな声を出して夜遅くまで話し合った。
暗く長い冬も、「この一日だけ」は明るく楽しいストレス解消の日になった。