物心も付かない子供の頃から親に本を読んで貰って眠りに付いていた。本の題名は皆忘れてしまったが、波乱のヒーローが繰り返し訪れる数々の苦労や強敵を乗り越えて思いを遂げる・・・簡単に言えばそんな物語だった。
記憶に残る物語は内容こそ違え、筋書きは似たり寄ったりで共通している。物語は波乱に満ちるほどいい。相手が大きくて強いほど引き込まれる。どん底は深ければ深いほど乗り越えたときのヒーローが光り輝いてくるし、聞くほうも面白い。
そう思ってここの経営を振り返ると、実はそこらにある私の好きな本よりも、よほど男の血を湧かせるストーリーがこの加茂水族館には有った。
別にそうなりたくてなった訳でもなく、その時々に訪れる周りの状況が自然に造り上げたと言っていい。その全ての歴史の中心に私が居たのだから語る資格はあるということだろう。
取って置きの話を一つ披露することにする。平成7年ごろだと思うが水族館業界をよく知る、いわばこの道のプロがお忍びで尋ねてきたことがあった。その男の目的は「日本中の普段着の水族館」を訪ねて歩いて、あとで紹介する本を書こうというものだった。
この男は特別意地悪でも、私に恨みが有ったわけでもない。実に正直なこの道の知識に長けたいい男である。有名な水族館の副館長という職を捨てて独立し、いまはプロデューサーとして活躍している水族館を知り尽くした専門家である。
彼とは恨んだり恨まれたりしているわけではないので、名前を挙げても別に怒られるという事もないであろう、ということで実名を書くことにする。その人物は中村元といって当時は三重県にある世界有数の施設として知られていた、鳥羽水族館の副館長として勤務していた。
そして各地の水族館を見てくるたびに自分のホームページに、その水族館を紹介する文とランク付けがしてあった。此れに我が加茂水族館も載ったのである。
色々な水族館が紹介されてランクがつけられている。その中に「どこと言って取るところが無い、なくてもいい水族館だ、こんな所にもラッコがいた」と書いてあった。
そしてランクから外れたところに印が付けられていた。余りのみすぼらしさに3段階あったランクの中に入れる事が出来なかったらしい。
水族館のプロ中のプロから「無くても良い」とのお墨付きを戴いてしまったのである
こんな水族館は他にはなかったので、とにかく日本に70ほどあった協会加盟の水族館の中で、最低の評価を受けたことになる。
このことを知って腹が立つ前に、情けないがその様な事は自分でも重々分かっていたことだったから、「いやこの通りどうしようもない水族館だ。あの男うまいこと書いたものだ」と納得した。
「こ うなったのも元はと言えば、遣りたいことはすべて封じて、ここで稼いだ金をみな持っていった本社が悪いのだ、おまけに大きな借金を背負わせて『金返せ、金 返せ』と迫られて、壊れた所も直せずに廃屋のようにみすぼらしくなったまま、無理やり経営させられたそのせいで、こうなったのではないか。」
「俺の家屋敷を担保に保証人にさせて、本社が銀行に多額の借金もしていたし、その上東京の親会社に借金に行けばいつも難癖を付けられて、金額を値切られたり計画変更をさせられたり、ちゃんと仕事をさせてくれなかったじゃ無いか。」
こんな思いがいつも胸の中を渦巻いていた。頭に去来するのは「言い訳、グチ、悪口、悔しさ」で心は真っ暗だった。
此れが「昔流行ったやくざ映画の場面」だったら、此れでもか此れでもかと無理難題に嫌がらせされ、寄ってたかって殴られ蹴飛ばされ、耐えに耐えているヒーロー高倉健さんか、鶴田浩二さんといったところだろ。
いらないと評されたのが平成7年ごろだと思うので、その2年後の平成9年にとうとう入館者が10万人を割って9万人ほどに減り、いよいよ「苦労の経営も此れまでだな」とわたしの口からもついつい洩れていた。
自分で借金を背負っての倒産はただ職を失うだけではない、大きな代償を払わせられることを意味していた。
内から見ても外から見ても、誰しも「加茂水族館の運命は窮まった」と見えただろう。しかしここから反転攻勢に出るという離れ業を成し遂げたのだから、世の中何が幸いするか分からない。
クラゲという得難い生き物に出会うという偶然から、わずかずつでは有ったが入館者が回復しだし、思いがけない応援などの後押しが有って業績は回復した。
ク ラゲという限られた分野ではあったが、あれよあれよという間に日本一、そして世界一の座にと駆け上がり、古賀賞という「業界最高の賞」を受け、入館者もど ん底時の2.4倍に増加した。そしてとうとうオープン当初の賑わいを越えて、45年ぶりに過去最高を記録するまでに回復することが出来た。
これぞ正に浪曲界の天才と評された「広沢虎造のだみ声」が語る「侠客、国定忠治の世界」じゃないか。苦境のヒーローが、憎き悪代官を叩きのめして地域の人たちを苦境から救い、やんやの喝采を浴びる・・・こんなことを髣髴とさせるように思うのだが、如何。