真夏は50度にもなった

新しい水族館はオール電化方式が採用されている。立派なレストランが有るが調理のために火は一切使っていない。大きなラーメンの釜も、煮物も焼き物も揚げ物もすべてが電気の力で料理が出来てゆく。

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・新水族館レストランの厨房。

火の無い台所なんてまるで魔法のような感じだが、実際ボタンの操作一つで温度や調理の時間が変えられて料理が出来てゆく。これまでレストランの台所と言えばガスの火が燃え上がるコンロに鍋やスンドウが置かれて、白衣の男たちが忙しく動き回るイメージだった。

世の中がここまで変わるとは只々びっくりである。なぜ知りもしないオール電化に飛びついたのかこれを紹介するのも館長である私の務めと言うものだろう。

おととしの事だから平成24年の5月ごろだったと思うが定かではない。「館長、東北電力の方が来ました」と言われた。予定もないのに何の用かと思ったが、多分電気料金の事でも説明に来たものだろうと会ってみた。

何だか元気のない印象の薄い二人の男がいた。何事かと思っていると鞄からパンフレットを取り出して「オール電化の営業に来た」と言った。なんだか胡散臭い話だなと思った。

いいかげんに帰ってもらいたかったので、気のない返事をして説明を聞いてお帰り頂いた・・・これが始まりだった。

意外にもその二人の男は粘り強かった。何度か会っているうちに実際稼働している現場を見てくれと酒田市にあるホテルに案内された。ここで目にしたものが信じられないものだった。

整然とした大学の実験室の様なたたずまいで、調理器具らしからぬものが並んでいた。

引き出しがいくつも付いた箪笥のようなもの、ステンレスの本棚のようなものも有った。台所特有のむんむんするような熱気と湯気、コンロから上がる炎とは無縁の実に静かな場所だった。

「火を使わないから台所は暑くならない。」この言葉に感動した。振り返ってわがクラゲレストランの台所はと言えば夏の盛りには50度にもなる大変な職場だった。

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・旧館の厨房。左側のコンロでがんがん火を焚いていた。

色々工夫をしてみたが温度を下げる事が出来なかった。ここで働くお母さん方はみんな60歳を超すいい年になっている。「みじょけねなー」と思ったし、いい環境で仕事をさせてあげたかった。

「新しい水族館では夏でもセーターを着て料理を作らせるぞー」とこの時に決心した。オール電化と言えば聞こえはいいが調理の設備には結構なお金が必要になる。それも軽食コーナーの分と2か所の設備になる。

金はみんなで稼げば何とかなるだろう。もうそこから先は心配するのをやめにした。

今外に見える小さな古ぼけた建物のレストラン、あそこの思い出は山ほども有る。

平成7年頃だったと思う。売店を拡張する工事をしたことが有った。東京の本社の指示で売店は商売になるがレストランは難しい、レストランを狭くしてその分売店を広げろと言われた。

売り上げから念出する工事の資金は不足していた。工事をしたらレストランのイスとテーブルを買う金がほとんど残っていなかった。思いついたのはリサイクルの業者から買えばうんと安くできる。

ダイ・・・何とかと言う業者の倉庫が赤川の土手のそばにあった。事務の田沢さんとガラクタが山積にしてある倉庫に入り散乱した家具を乗り越え乗り越え探したら、どこかの蕎麦屋からでも引き取ったのかそれらしいテーブルが見つかった。それを6つと合いそうな椅子を24買った、皆で35,000円で買えた。

これを並べて商売したがとても話にならなかった年間の売り上げが600万円にしかならなかったから、誠に恥ずかしい次第だった。

貧乏が極まってくるともう何でもありだった。それから10年後の平成18年に、クラゲレストランに改造し倍に拡大したら売り上げが3,000万円を超えたのだからどん底の5倍になって大いに利益を上げた。

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・旧館のクラゲレストラン。連日のにぎわいを見せたものだった。

ここでクラゲを食べる会をし、クラゲラーメンを発明し、エチゼンクラゲ定食も売り出した。クラゲアイスは年間1,000万円を超す空前の大ヒットになった。

クラゲのジャムも作ったし、クラゲウインナーコーヒーも売り出した。皆バカバカしいアイデアだったが実行したらマスコミさんが飛びついて来た。

勢いがつくと何をやってもヒットするものと教えられた。アイデア料理を出せばテレビ局がきて全国放送してくれ日本中の客を呼び、売り上げを増やしてクラゲ展示の拡大資金にした。

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・「クラゲを食べる会」にフランスからの取材が来たことも。

夏には50度にもなったあの台所も新しい水族館建設に向けて力を発揮してくれたのだが、外の建物と共にあと数か月で取り壊される。

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