表題は冬の話になっているが、書き出しはまだ雪の降る前の月夜から始まってしまった。前にも書いたが夜行性の獣を追って山を走り回るのは人間には不可能な事で、ムササビにしても山道を歩いている間に偶然に出会う事を願う他ない。
そこで本格的に猟をするのは、自由に歩き回ることが出来る雪が深く積もった冬のさなかになる。あれも確か高校二年の冬だったと思う。あの日も天気は素晴らしくいい日でかんじきを履いて、親父さんと一日中ウサギを追って歩き回った。
・独立学園の同窓生。後列の左から3人目が私である。
雪もあまり深くなく歩きやすかった。ちょっとした杉の林や、斜面に生えた雑木の林を交代で追い役と撃ち手になりながら、ウサギを撃って過ごした。
山のいたるところに足跡がついていても、思うほど多くはいないのかいつもそんなには捕れなくてせいぜい2~3匹だった。
捕れればすぐに腹を裂いて内臓を捨てる。こうしないと匂いがきつくなって肉の味が落ちるのである。
快晴の空が次第に白い薄雲が張ってきて「これはバンドリ撃ちにちょうどいい、夜また山に入ろう」と親父さんが言った。私も少し山を甘く見ていた。いくら若いと言ってもウサギを追って一日中歩き回って、さらにまた夜もでは疲れ果ててうごけなくなる。
しかしバンドリ撃ちの誘惑には勝てなかった。一度戻って腹いっぱい食べて暗くなってまた山に入っていった。ゆっくりゆっくり親父さんの踏み跡をたどってオギュウタのブナ原生林に差し掛かった時、頭上からぞっ!と背筋が寒くなるような声が聞こえてきた。
「女がすすり泣く」と言えばいいのか、「か細い笛のような」と言えばいいのか、この世に幽霊が居たらこんな声を出すのではないかと思える、ヒュルルルルルーと身を震えさす声だった。
ぞっ!として立ちすくむと親父さんが私の名を呼んで「バンドリがいた」と云った。「この声はバンドリで人が近づいたりすると警戒してなく声だ」と云った。
見上げるとそこいらにはまだブナの大木は生えていなく、10mぐらいの背の低い木が枝を広げて二人の頭上まで伸びていた。
その木の上に何かが黒い塊となって見えた。「良く見れよ、月に透かし見ればふわふわとした毛が見えるものだ。」「毛が無いのは雪の塊だ。」細い枝の先にしがみついてバンドリがいた。
まず親父さんが撃った。「いつもこんな入口には居ないんだが、今日はいいかもしれない」と親父さんが言った。
更に奥に入って行くと見事なブナの林になる。みな高さが20m以上も有ってなん百年たったのか太い立派な木であった。人が植えた木ならば整然と同じような間隔でブナの木が立っているはずだが、原生林の木はそんなに間隔が近くないし距離もバラバラだった。
大木となると隣の木まで50m~100m、200mも離れていることも珍しくない。今は雪の下に隠れて見えないが間にはびっしりと背の低い色々な木が生えて森を作っている。探しながら行くと、1本のブナに4~5匹もバンドリが取り付いていた。
雪の上に尻をおろして上を見上げて狙いを付けて1発撃った。しかしそのままだった。また1発撃ってみた。これも当たらなかったようだ。何発目か撃ったときやっと1匹落ちてきた。
やれ嬉しや、やっと当たったか良かったと思ったら、落ちると思ったバンドリが、雪の上すれすれを飛んで行ってしまった。矢張り夜に鉄砲を撃つと言うのは難しい。狙いを定めたつもりでも筒先が見えないのだから、どこか違う方角を狙ってしまうのだろう。
親父さんが私に代わって撃って1匹捕まえた。そして飛んで逃げた奴を追いかけた。150mもかんじきを履いたまま走った。逃げた先にもブナの大木が有って根元にバンドリが着地した足跡が付いていた。見上げる20m上に塊が見える。さっきの奴だろう。
ここでやっと私が1匹撃ち落とした。さらに行くとブナがみな若く木も混んでいて高さが15mほどと低くなっていた。先に行った親父さんが1匹落として拾いに行ったところ、死んだと思ったバンドリが木に這い上がった。
それを見た親父さんが筒先でたたいて落そうとした時に、誤って引き金を引いてしまった。ドカンと音がして離れてみていた私の眼に筒先の赤い火が見えた。弾は私めがけて飛んできて横に生えていたブナの幹にあたった。
親父さんの切羽詰まった声がした。「おい大丈夫か!」鉄砲だろうが大砲だろうが当たらなければどおって言うことは無い。「何でもねえー」と云ったがまた親父さんの声がした。「本当だか、当たらなかったか。」親父さんはこの時本当に私を撃ってしまったと思ったと後で話してくれた。
いつもならこんな失敗はしない人なのだが、矢張り疲れがそうさせたのだろう。皆で5匹か6匹のバンドリを捕まえたところで、弾が無くなった。私が下手なものだから当たらないままにやたらと撃ち過ぎたせいだった。上手に撃っていればあと4~5匹は多く捕れたと思う。
二人で分けて背負って帰ってきたが、どっと疲れが出て疲労困ぱいだった。いつの間にか腹が減っていた。力が抜けてボーっとして、ただ惰性で足を進めた。
私にはいまどこに居るのかさえわからなかった。わずか雪にかんじきが引っかかっては倒れ、又倒れ夢遊病者のように歩いていた。疲れてはいたが体は暖かく眠く、このまま座り込んで眠ったらさぞかし気持ちが良いだろうと思った。
そのまま眠れば実に「安らかに天国に行ける」、あの気持ちよさは「どんな宗教や悟り」も敵わないだろう。死にたくなければ空腹と眠さを我慢して歩く他なかった。
親父さんの家を見下ろす裏山まで来て、親父さんは灯りを見ながら「あそこまで駕篭に載せて連れて行ってくれれば1万円やる」と云った。今だったらさしずめ20万~30万円という所だろう。
疲れを知らない人だったがさすがに、昼も夜も鉄砲うちでは参ってしまったようだった。私は黙って聞いていた。声すら出ないほど疲れ切っていたからだ。
バンドリには少しだが脂がのっていて、木の匂いがするが結構うまいものだった。
毛皮は紙のように薄く使い物にならない。身も骨から剥がすほど多くはないので骨ごと鉈でたたき切って鍋に入れ、野菜と味噌で煮るだけだった。骨付きの身は両手で持って「骨かじり」と言って歯でむしり取って食べる。これがまた楽しみであった。
山の肉鍋に必ず入れるものが有った。それは潰した大豆で、木の切り株の上で金槌で1粒1粒たたいてつぶす。左手に大豆を握って1粒乗せてはたたいてつぶした。
それは面倒な作業で、幾ら潰しても大した量にはならなかった。
73歳になった今でも月夜に白い雲がかかっていれば、バンドリ撃ちを思い出す。