石巻市の出来事

10月の17日に宮城県の東松島市に講演のために行ってきた。「これから長い復興の苦労が続くので市民に何か元気が出る話をしてくれ」と、頼まれたのが理由だったがいざ引き受けてみてから、とんでもない事を引き受けてしまった事に気が付いた。

震災で1000人以上の死者をだし大きな被害を受けた方々に、だれがどんな話をしたところで慰めにもならないだろうことは想像に難くない。

そう思ったら断りたくなったが持ち前の優柔不断が、ずるずるとただ時を過ごしてしまい、当日が来ていた。

風邪を引いていて具合が悪かったが何とかその時間だけ元気を出して、無事講演を終えることが出来た。成功したかどうかは何とも言えないが約束を果たしたことだけは言えるであろう。

今日の人情話は講演が終わったところから始まる。終わって控室に戻ると間もなく、小学校4~5年生ぐらいの女の子と父親が訪ねてきた。聞けば隣の石巻市から来たと言う。

お父さんの語る所では「4年前に加茂水族館でゴマフアザラシの子供が2頭生まれ、名前を募集したことが有った。それに応募したところ合格して記念品としてアザラシのぬいぐるみなどをもらった。しかし津波で水没してアザラシのぬいぐるみを失ってしまった。」との事。

表彰式の時の写真も持っていた。確かに私とまだ小さかったその女の子が写っていた。このたび私が来ることを知って懐かしくなって訪ねてきた・・・とまあこんなことを語ってくれた。

思いがけない所でご縁のある方に出会った意外さと、嬉しさが胸を駆け巡ったのは言うまでもない。そして住所は分かるはずだから帰ったら同じぬいぐるみをもう一度プレゼントしようと心の中で思った。

しかし帰ってきて調べてみたが住所が分からなかった。石巻市の鈴木さくらさんという名前は分かったがいくら調べても住所が分からなかった。

そこで思いついたのが、石巻市役所に問い合わせたら探してくれるだろう、名前や年恰好は分かる、津波にあったと言うからおよその地区も分かるのではないか、そう思って電話をしてみた。

その結果はびっくりするようなものだった。市民課の男の係に一部始終を説明して何とか調べて頂けないかとお願いしたが「それは出来ない」と言うばかり。プライバシーが心配ならば相手に「加茂水族館に電話でもしてくれる様に」と話してくれるだけでも・・・と言っても、上司と相談して何とか・・・、人助けではないか・・・と言ってもダメだとの一点張りだった。

ならば市長と話すから市長につないでくれと回してもらい、秘書課の女性と話してやっと調べてもらい、2時間後に判明したと連絡が来た。

確か石巻市と言えばこのたびの津波の際「大川小学校」の大惨事が有ったところだ。テレビの報道しか知らないが先生方がマニュアルにしたがって逃げ場を探しているうちに、津波に襲われたと言う何とも悲しい出来事だった。

このたびの石巻市の役人の対応を見てすぐ様に頭に浮かんだのは、この大川小学校のことだった。コンピューターじゃあるまいし、インプットされた以外に動けないとはあの惨事から何を学んだろうと疑問に思う他無い。

特に石巻市を責めるつもりはない。どこのお役所も同じような思考回路だとは想像に難くない。お役人さん一人一人がもう少し自分の考えを持って市民のために何か役立とうと思うなら、幾らでも私のお願いをかなえる術は有ったと思う。市長にまで電話をまわしてもらう必要はなかったはずだ。


荘内日報(2012年11月4日)掲載の記事

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