帰ってきたばかりと云うのに、もうなんだかこの世の出来事ではなかったような、はるか遠い昔の出来事のような、はたまた夢の中の出来事だったようなあやふやさがある。
もともと私はオキナグサには興味が無かったし、どうしても見たいと思うほど力が入ることも無かったのに、思いが叶わなかったばかりに余計執着してしまったようだ。
子供の頃には山手の田んぼの土手や、草刈り場などに行くと結構咲いていたものだったが、何時の間にか見られなくなっていて、気がついたときには殆ど手遅れだった。
10年ほど前に写真好きの友達に尋ねられたのがきっかけだったが、だれに訊ねても自ら探せども出会うことは無かった。殆どの人は「あー有るよ、今でも咲いているはずだ」と答えたが。
いざその時期になって「行って見たが1本も無かった、ついこの間までは確かに有ったのだが」という返事がまるで判を押したように返ってきた。
オキナグサぐらいそう難しいことではあるまいと高をくくっていたが、さがしはじめて難しいことが分かってきた。
ほんの数年の間に取り巻く環境が大きく変わっていたことに気がつかなかった。
確かにメダカやアブラハヤ、各種のタナゴにオイカワまでも姿を消して展示のために採集するのに苦労していたが、うっかりしていたが水中だけの事ではなかったのだ。無いとなると自然が残っていると思われている此の庄内でもこうなのである。
そうなると余計見たくなるのが人の常、何とかどこかに少しぐらい残っていても良さそうな物だとおもい、折に触れては人に尋ね一寸した話を聞き込めば、刺さり込んで情報を集めたりした。
もう殆ど執念のようなものだった。「一度でいいから野生のオキナグサに出会って、写真を撮りたい。」別に掘り取ってきて鉢に植えようなんて姑息な考えはない。欲しけりゃ売っているじゃ無いか、俺はただ野生の本物に出会いたいのだ。
大昔にラジオのドラマに「君の名は」と云うのがあった。若い二人が出会いそうで出会えない、じれったいすれ違いの物語だった。放送の時間になると風呂屋に女客が居なくなるといわれ、一世を風靡したことが有ったが、あれに気持ちは通じるものがある。
其れが昨日念願かなって出会えたのである。突然の電話だった。かすかに聞き覚えのある声で、阿蘇生と名乗り「秋田県の鳥海山ろくに確かにある」という。「行ってみる気は今でもあるか?」というもので有った。
6年前に親戚のお葬式で出会った、見知らぬ方であった。7日法要の後の直おらいでたまたま出したオキナグサの話を覚えていてくれたようだ。
嬉しかったしありがたかった。今度こそ実現しそうだと直感した。二つ返事でお願いした。その方の酒田市のお宅から約40分、鳥海山の秋田県側の懐深いいい景色が広がる高原の田園地帯の中に突然ぽつんと小さな食堂があらわれた。
この小さな「マサ苑」という名の食堂のご夫婦が案内人であった。
食堂から数百メートル向こうに見える田んぼの外れの山すそが、オキナグサへの入り口だった。軽のワゴン車に4人が乗り木々の枝に囲まれた細い山道を登っていった。
ただただ木々の枝だけが視界を遮り見通しは全く利かない。天空に続くかと思えるほどの急な上り道だった。ガタガタゴットンと天井に頭が着くほどに車は揺れた。ちょっと間違えたら車は藪に突っ込むか反対側のがけ下に転落するかしただろう。
まだ幾らも登らないうちだった。運転していたオヤジさんが突然ハンドルをもつ左の手にライターを握り締めて、カチャカチャと火をつけ始めたのである。そして右の手に持つキセルを咥えて顔を近かづけて火をつけたのである。
この間車は走らせっぱなし、危ない山道でのハンドル操作を続けていたのだから恐れ入る。
相当のタバコ好きと見えた。数分おきに右手1本でキザミ煙草を詰め替えては、左の手でカチャカチャとライターを鳴らして火をつけていた。あれはもう危ないとか言ってるような生易しいものではなかった。「いよー天晴れいい男」と声を掛けたくなるような離れ業だった。
そして突然木の背が低くなってまばらになったと思ったら、地面が芝生に変わり、視界が開けてそのままこじんまりした牧場になっていた。
道が有るようなないような牧場の中に軽のワゴン車は入っていった。「ここいらは一面、白くなるほどオキナグサがあったのだが・・・」という声とは違い、見ても探しても見つからなかった。
去年は確かにあったという高台にも行って車を止めて4人で探してみたが無い。有ったのはオキナグサならぬアズマギクの群生であった。此れだって今時簡単に見つかるほどには無くなった貴重な植物である。
此の牧場は誰しもが持つイメージとは違っていた。見渡す限りに何処までも続く広大なものではなく、あっちに一つこっちに二つと散在する草地を、道でつないだ複雑なもので、1つ1つはそんなに大きくはない。
オヤジさんは何とか私にオキナグサを見せたいと、あっちこっちと回っては、「此の間までこの辺は一面咲いていたのだが」と首をひねっていた。
そして思い切ったように藪道に車を入れた。しばらく木々の枝に車体をこすりながら走ったその先に、再び芝生の台地が現れて、遂に出会うことになった。
車を止めたその席からオヤジさんは「あった!」と大きな声を上げた。
幾ら目を凝らしても私の目には「白い産毛に包まれた幻の花」は見えなかった。
親父さんの後について行って指差す先をみて初めて目に入った。思っていたより、白い産毛も赤い花びらも周りの草に溶け込んでいて目立たないものだった。
3本が一つの株になって2本は今が見ごろの、奇麗な濃い赤色の花が下に向いて咲いていた。
やっと出会えたオキナグサは、その辺を探して他に3株だけが見つかった。「恐らく来年は芽を出すまい」それほど頼りなくひっそりと咲いていた。