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平成9年に有った幻の水族館建設計画

平成9年というとまず私の頭に浮かぶのは「どん底でクラゲに出会った年」だ。しかしその大きな出来事に隠れたもう一つの書き残しておかなければならないことが有る。


46年は夢の如し -車いすの道-

この頃どこに行っても障害者に対する配慮は行き渡って不自由な思いをさせることは殆ど無いが、ここ加茂水族館はそうはなっていない。昭和39年の建物がいまだに使われている関係上、とても配慮がされているとはいいがたい。


俺だって応援している「なでしこジャパン」

昨夜はテレビで女子サッカー「アルガルベ杯」の決勝を応援していて12時ごろまでも起きていた。


ノーベル賞学者の下村脩先生のメール

東北の片隅にある小さな水族館のおやじが、ノーベル賞を受賞した大先生と時々メールのやり取りをしていると言ったって、聞いた人はにわかに信じがたい事だが、なぜかそれが本当にあるから世の中面白いと言える。


狐に騙された

実に奇妙な出来事だった。昨日の帰宅途中で起きたことだが今なお何が起きたのかいくら考えても理解できない。こんなことを狐に騙されたというのだろう。


ギネス記録登録の事

ギネス記録に申請してみようかなと考えるようになったのは、平成16年ごろからだった。初めは「館長歴が世界一長い」ことを申請しようと考えていた。それが常設している「クラゲの展示種類数」も、となったのは、平成17年の3月から始 […]


2年半後に新水族館がオープンする

震災が起きた年だからだろうか。一喜一憂しながら過ぎた今年の時間は、これまでに経験したことのない速さだった。ガソリン不足と流通が止まったあの暗闇がつい昨日のように思い出される。


大震災にあう

もうあれから70日が過ぎた。当時は受けたショックの大きさから、此れが元に戻るには数年は掛かるだろうと思っていたが、直接の被害を受けなかった地の利が幸いしたのか、意外に早い回復を見せたのは正直言って驚いている。


酒田大火の日、高波の大被害

ここの歴史を何となく振り返ることがある。特に力が入っての思い出しではない。仕事の合間や一日を終えて眠りに着く布団の中だったり、イワナ釣りの手を休めた山奥の谷底だったりと、場面は様々だがゆったりとその場面が思い浮かび鮮明に […]


館長思い出語り

加茂水族館の46年間にはいろいろな節目があって、折に触れて思い出されるが、昭和57年も大きな出来事があった。


館長思い出語り

もう記憶のかなたに忘れ去られようとしているが、かつて加茂水族館が倒産の危機に面し職員全員が解雇されたことがあった。


竿洗いの年だった

今年は海は勿論渓流も含めて殆ど釣りをした記憶がない。


下村先生をお迎えして

下村先生ご夫妻を庄内空港からお送りして、しばらくの間はある種の放心状態が取れなかった。


20万人目の入館者

長かったといえば長い気もするが、わたしの感じでは43年はたしかにあっという間だった。昼寝をして目が覚めたら今になっていたと思うほど短く感じられる。27歳で館長に就任して今70歳になったのだから確かにここでの日々は43年が […]


クラゲネクタイがくれた大きな贈り物

9月20日ごろに水族館にとってめったに無い嬉しいニュースが続いて舞込んだ。一つは鶴岡市の「市政功労者」に館長が内定したというものであり、数日置いた23日「斉藤茂吉文化賞」に加茂水族館が決まったというものだった。


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