オットセイ騒動記

休み明けに出た朝だった。「昨日水族館のすぐそばの磯場にアシカがいると電話があった」と報告を受けた。

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・体が乾いているのでしばらくいた様子。オスのオットセイ。

水族館のが逃げられたのではないかと思ったらしいが、これがアシカではなくオットセイであった。なぜ水族館の下と言えばいいのか50mも離れていない磯の中まで入ってきたのか分からないが、これほど近くに現れたのは50年来初めての出来事だった。

オットセイがこのあたりにいること自体は珍しいことではなく、ただ目に触れる事がめったに無いだけである。毎年冬には日本海を南下して佐渡沖までは来ているのでたまには死んだものが打ち上げられたりして見ることがあった。

吹雪の舞う荒れた海をどこに避難しているわけでもなく、泳ぎながら餌を捕まえ移動しているわけだから丈夫なものである。若い飼育係から報告を受けたが、話を聞きながら遠い昔を思い出して「俺も若い頃ずいぶんバカなことをしたもの」と一人笑ってしまった。

オットセイ騒動記4

・30歳くらいの若かりし頃の館長

さかのぼる事41年になる。昭和47年の3月ごろだったと思うがすぐに年代がよみがえったのはオットセイ事件とともに、ここが本社のとばっちりを受けて倒産して騒動の中にいた年だったからだ。

昭和47年と言えば日本が世界中の海に自由に出かけてマグロやカニだけではなく、サケ、マスにエビやカレイなど魚を捕りまくっていた頃だと思うが、この加茂地区からも毎年3月になると船体を青色に塗られた船が何艘か、北洋にサケマスを捕りに行くために出航していった。

出航してゆく船を加茂水産高校の生徒さんが全校あげて岸壁に並んで、ブラスバンドの演奏勇ましく送り出していた。ずいぶんと勇壮なものだった。 
その中の船頭さんの一人と懇意にしていた。いつだったか定かではないが「北洋にはオットセイがいっぱいいて、網を巻き上げるときに中に入って来ていくらでも捕まえる事が出来る」と言った。

お互い冗談半分だったが「それならここで飼育したいので1匹頼む」と私が言ったことも記憶にある。あの頃はまだ「海(ら)獺(っこ)、オットセイ条約」という厳しい内容の国際条約が生きていた。とにかく「ラッコもオットセイも捕まえてはいけない、死んだものを拾ってもいけない、、、」という内容であったが、そのまままかり通っていた。

なぜこんな厳しい条約が、、、、、と思われるだろうが、聞いたところによれば日本が戦争に負けて、繁殖地を持つ戦勝国(ロシア、アメリカ、カナダ)に押し付けられたのだとか、、、、それだけ日本は戦中も戦前もラッコやオットセイを捕り過ぎがあったという事でもあるのだろう。

そんな中で雑談して捕まえて来てくれ、、、と言ったのだから私もとんでもないバカだった。

そして突然例の船頭さんからの電話で「館長オットセイ1匹もって来たぞ」と連絡があった「えっまさか本当にか」と思ったが後の祭りだった。

大きな籠に入れられたオットセイは大きさが15kgほどでかわいらしかった。よく見れば肩から首を回るように深い傷が体を半周するほども見えていた。ぱっくりと口を開けた傷口は白い脂肪層よりも深くまで達していた。「これでよく生きていられるなー」と思わせるほど重症に見えた。

怪我もしているしまず預かって飼ってみるかと引き取って、赤チンキを傷口に塗って当時フンボルトペンギンが入っていたプールに収容した。

オットセイ騒動記3

・当時のペンギンプール。

これをだれも気が付かなければ何事もなかったのだが、地元のNHKさんににすっぱ抜かれた。出勤してみたらみんなが騒いでいた。「朝、ここのオットセイが国際条約に違反して飼育されている」とNHKの全国ニュースとして流れたと言っていた。

それでは大変なことになった、もう飼育はできない海に放流するほかないと思った。私が手つかみして捕まえてそのまま海中にほおり投げてやった。大荒れの日だったが「こんな波でも泳げるものだろうか」との心配をよそにあっという間に大波を乗り越えて姿を消してしまった。
そこに職員が走って来て「館長警察が来た」と知らせてくれた。その時「捕まりたくはない逃げるほかない」と思ったから、もうどうしようもないバカだった、裏口から外に出て車に飛び乗ってどこに行くとも当てもなく逃げ出した。

逃げても仕方がないと気が付いて2時間もして戻ると警察に連れて行かれた。証拠のオットセイが居ないままでは警察も困っていたが、時には厳しくまた時にはやさしく誘うように取り調べられて、ありのまましゃべらされた。

書類送検され後日検察にまた調べられて散々怒られて、交通違反などと同じ略式の違反で3万円の罰金が科せられた。持ってきた船頭さんは5万円の罰金だった。

館長がどこに顔を出してもオットセイの話しでもちきりになった。他の報道機関も取り上げて結構大きな話題になったが、オットセイが大けがをしていたという事が幸いして、条約に違反していたという事よりもそれを保護したのだと加茂水族館を擁護する声が多く寄せられた。
後に日本動物園水族館協会から「オットセイの飼育についての通達」で国際条約に違反しないようにとの注意が来た。

すべて私の「物事を軽く見て行動を起こす」という未熟さが招いた騒動だった。

オットセイ騒動記5

・左に見える三角の建物が旧水族館、右に見えるのが新水族館。

昨日ここに現れたオットセイは結構な年寄りに見えた。まさかあの時私が放り投げたあいつが、新しい水族館が出来るのを祝って挨拶に来たのではあるまいな。

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