ヤマドリは尾羽が12節有れば火の玉になる


ヤマドリと言っても山の鳥という意味ではなく、和名がヤマドリというキジに似た姿をした尾の長い綺麗な鳥の事だ。キジが人里に生活を依存しているのに対してヤマドリは殆ど人里離れた沢沿いの山の中が生活の場になる。

私が居た飯豊山のふもとにあるキリスト教独立学園は、熊が出るような深い山の中にあったからキジは居なく、居ればすべてがヤマドリだった。

ブナ林

・ヤマドリのいるような山深いブナ林


3年間の高校生活で随分鉄砲を撃ったが、ヤマドリはたったの2羽しか捕ったことが無い。10発撃って1羽の確立だったから、打率にしたらわずか1割打者だった。

何度撃っても当たらず、飛ぶ速さと轟音を立てる羽音に驚かされて、ただ見送ったか遅れて鉄砲を構えて撃つものだから、まず当たるはずがなかったといっていい。
 
1度目の話は狸捕りの所で書いたので、もう一度立派なオスのヤマドリを撃った時のことを書いてみることにする。

鉄砲を貸してくれる親父さんは私と8歳しか年が離れていなかった。それで奥さんが居て3歳の子供がいたからずいぶん若くして結婚したのだろう。

高校の2年か3年の冬だったか定かではないが、その子は5歳ぐらいだったと思う。親父さんの家で目が覚めて外を見たら快晴の青空だった。親父さんは「村はずれの沢にヤマドリが居たから行ってみたらいいぞ」と勧めてくれた。

学生服の上に弾帯を巻いて学生帽をかぶって身支度をした。長靴の上を縄で縛ってかんじきを履いて使い慣れた鉄砲を肩に外に出た。

高校時代

・何と当時の写真が残っていた。


本当にいい天気だった。息子さんと二人で沢に掛かる橋の側に来て、覗き込むと至る所にヤマドリの新しい足跡がついていた。雪が融けて出来た穴があちこちにあって、下を流れる沢水までつながっている。

ヤマドリの足跡は穴という穴に入っては出てまた入っては出ていた。向かい側の崖は雪が崩れて山肌が出て笹や芝木が伸びていた。いかにもどこかにヤマドリが隠れていそうだった。私が鉄砲を構えて息子さんが雪を投げた。

穴という穴に、又向かい側の笹の中に何度投げてもヤマドリは飛び出さなかった。「これは居ねぜー」と諦めながら鉄砲を筒を上にして雪に立てて、私も雪の塊を投げてみた。

矢張り飛び出さなかった。あきらめて二人でぼやーと沢を見下ろしながら立っていたときに突然、バタバターという大音響とともにヤマドリが雪の穴から飛び上がってきた。

びっくりして一瞬遅れたがすぐに鉄砲を抜き取って構えたとき、ヤマドリはすでに真向かいの小高い雪の山を越して飛び去る所だった。追いうちに1発撃ったがヤマドリは雪の山を越して見えなくなった。

当たって落ちた様でも無かったが、まあとにかく行ってみるかと二人で橋を渡って、飛び去ったあたりに行ってみると雪の上にドサッと落ちた跡と血が滴っていた。そして点々と足跡が続いている。

付けていったらちょっとした藪に身を潜ませていた。これは大きなオスのヤマドリで長い尾羽を持っていた。節を数えてみたら11有った。もう一節有れば火の玉になると言われる大物だった。

弾は体に当たったのでは無く右の羽の太い骨を砕いていた。意気揚々と親父さんに見せるとまた別のヤマドリが居る所を教えられた。「鉄砲うちは感が大事だ。当たる時は当たるものだ。少し離れているが別の沢にもいいオスが居たから行ってみろ。」

また息子さんと二人で雪の上を歩いて、教えられた沢に行ってみた。入口に3mほどの滝が有って越えて行くとすぐに両岸が迫って谷底のようになっている。矢張り教えられた通りにヤマドリが今しがた歩いた跡が奥に向かっていた。

少し先にブナの大木が倒れて斜に寄りかかり雪が覆っていた。木の下に雪の穴が離れて二つ空いていた。

手前の穴にヤマドリの足跡が続いていた。向こうの穴から出た跡はない。このブナの下に居るという事になる。

ここで私は経験不足から大きな間違いをした。手前の穴から俺が入るから向こうからお前が入れと息子さんに指示した。本当は私は入らず外に居て、息子さんに入らせて別の穴から出てくるヤマドリを撃つべきだったのだ。

2人でも手がまわせないほどの大木だった。もぐりこんでもまだ空間が開いていた。斜面には奥が見えないぐらいに熊笹が生えていた。これではどこに居るのか全く分からない。

その時に奥の方でバタバタと大きな羽音がした。思わずそっちに向けて発砲してしまった。そっちからは息子さんが入っているはずだった。子供一人を撃ち殺したと思った。心臓が止まるかと思った。「おーい大丈夫だかー。」

返事はすぐに返ってきたがそのわずかな時間がまるで時間が止まったように感じた。「何でもねー」と声を聞いた時の安堵感はたとえようも無い幸せなものだった。

もう鉄砲を撃つ気は失せてしまった。未熟者が武器を持つと大きな間違いを起こす典型だった。今でも思い出すたびに神に感謝している。

館長人情話

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