46年は夢の如し -車いすの道-


この頃どこに行っても障害者に対する配慮は行き渡って不自由な思いをさせることは殆ど無いが、ここ加茂水族館はそうはなっていない。昭和39年の建物がいまだに使われている関係上、とても配慮がされているとはいいがたい。

入り口の階段にスロープをつけたり、トイレを障害者用に改造したりしてみたがその辺が限界であった。

何とかどこか改造して、小さくてもいいからエレベーターでも取り付ける余地はないか、専門の業者さんに来てもらい散々調べてみての結論は、どこにもそんな余地はないし構造的にも不可能ということだった。

以 前と違って障害者のかたも施設だけではなく、家庭からも一般の人と同じように普通に入館されることが多くなった。車椅子の方もクラゲが目当てでやってくる ので、せっかく世界一にまでになったクラゲを何とか見ていただきたい。3人がかりで車椅子ごと持ち上げて、階段を下りてゆく姿を見るのは忍びなかった。

何 とか車椅子のまま下の階に行けるように出来ないものか、仕方なしに思いついたのは「外に出れば建物を回るようにして下の階に降りてゆく作業用の車道が有 る、これを整備して車椅子の方でもクラゲやアシカショウを見ることが出来るようにしたら、喜ばれそうだ。」そう思ってすぐさま多少の手を加えて使えるよう にした。

大いに喜ばれ利用されていたが、あるとき障害者の団体を案内してきた女性が「こんな危険な所を通らせるんですか、市の施設なのになんですか、全く配慮がされていない」とこっぴどく怒られた。

確かに云われないまでも分かっていたが、坂が急で不安になる所があった「しかしそげに怒らなくても…」と口に出そうになった。

車椅子が下りてゆく道の、灯台側にそびえる岩山は元々切り立っていて建物との隙間は僅かしかなかった。

私が働き始めた昭和41年には、もっと幅が狭く車が通れる余地は無く、リヤカーが通れるだけの実に狭いものだった。

あの頃水族館に車は無かったのである。毎日アシカやアザラシ、魚類に与える餌は約1km離れた所にあった漁協の冷凍庫まで、職員がリヤカーを引いて運びに行っていたのである。

翌年に初めての車が配属された。日産のセドリックバンであった。

あれから切り立った岩山は年を重ねるごとに、風雨に晒され少しずつ崩れて何時の間にかリヤカー道は、車が通れる幅に広がった。

やはり46年という年月は、短くなかったということだ。 そしてこの裏道を整備して、曲がりなりにも車椅子の方が1階に降りて行けるようになった。障害有る方もアシカショウやクラゲの展示を見ることが出来るようになった。

館長人情話

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